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持合の時慰みに商仕掛間敷事

2016/08/14 22:02:02

テーマ:現代訳 宗久翁秘録

 

本日は、現代訳宗久翁秘録 第151節「持合の時慰みに商仕掛間敷事」をご紹介致します。

 

1.原文

目次

相場持合の時、うつかり慰みに、商仕掛ることあり、甚だ不宜可慎なり。此商、強て初念の思入れ離れ難き者なり。余程黒人ならで、見切出来ざる者なり。例へば、百両売附候て、少々上る時、最初踏出しの百両分に、念を残して買ふことを忘れ、又々売重る心になるなり。段々上る時は、此処にて売りならしすべしと売込む故、自然金高成嵩み後々は、売返しも買返しも自由ならず、大事に及ぶなり。附出し商を、慰の様にうつかり仕掛る商より発こるなり。仮へば、百両分仕掛ける共、容易に心得べき者なり。得と米の通ひ運を見定め、作割金割等を考へ、売買共附出し可申事也。

 

 2.現代訳

保合い相場が続いている時、小動きに焦れて、うかつに仕掛けてしまう事がある。これは大変な間違いであり、身を堅固にして慎むが良い。

こうした相場では最初の先入観を去る事が非常に難しく、余程の玄人で無ければ後々、見込み違い気づいて見切ると言う事が出来ない。例えば、百両売付てから少しばかり上がってしまうと、最初の百両の売りに未練が残って、買うと言う事に頭が向かず、更に売り上がってやろうと言う気になってしまう。そして次第高に上げてくると、ますます高値で売りナンピンしてやろう、との気になって売り込んで行くから、自然と売り込みが嵩み、後々で売り増す事も、買い途転も出来なくなり、身動きがとれず大事に至るのである。

仕掛けを遊び心で、うかつにやってしまうと後々、こうした事態に立ち至るのである。仮に、百両の仕掛けであっても、ここぞと思う処以外ではやらず、しかと相場の天底、先行きの展開を見極め、作割りや水準を考えてから仕掛けに入るべきである。

 

3.私の解釈

 この節では、方針を定めての計画的な売買ついて説かれています。

 

 

方針の無い行きずりの売買では、相場が建玉方向と反対方向に大きく動いた時、損切りポイントを予め定めていない為、損切りが遅れる事が多く、含み損が膨れ上がる度にナンピンを繰り返してしまう、意地の売買になりがちです。

それに対し、方針を定めた上での売買であれば、例え反対方向に動いたとしても、予め定めたポイントにて建て増しを行う、ブレ無い心での売買が可能となります。また、損切りも、予め定めたポイントにて機械的に行う為、当初定めたリスク金額よりも大きな損失を避ける事が出来ます。

「売買は期間を定めて計画的に」、これは尊敬する三四郎先生のお言葉でもありますが、踏み出す前に勝敗の大半は決まっているものと思います。そして、確率75%にて勝ちが見込める時に、満を持して建玉をする、そんな売買が出来る時、利益と言う名の果実を享受する事が可能となるものと考えます。

得と米の通い運びを見定め...これは日々の相場を分析し、相場の行き過ぎを確率で把握する事、此れこそが宗久翁の説く極意であると考えます。

 

4.原典紹介

現代訳宗久翁秘録は、全157節の原典と現代訳、そして宗久翁小伝にて構成されています。当ブログにて紹介しているのは、その内の46節に過ぎません。

ご紹介している46節は、私の主観から、重みのあると考えたものを抜粋したものですが、その他にも見るべき節がある事も事実です。

また、宗久翁小伝には、戦前迄の「日本一の大地主、酒田の本間家」の礎を築いた宗久翁の生い立ち、そして、宗久翁が、稀代の天才米相場師、「出羽の天狗」との異名をとるに至るまでの過程が書かれており、それだけでも一読に値するものと思います。

現代訳宗久翁秘録は絶版であり、新書の入手は困難ですが、残り少ない中古書がこちらから購入出来ます。原典をお読みになれば、また違った景色が見えて来るものと思いますので、一読される事をお勧め致します。